すべてはここから始まった!? 嵐を結びつけたテレ朝第一リハーサル室
2012.5.9
5月4日放送の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に嵐がゲスト出演しました。この日は、視聴者からのリクエスト曲=最強ソングを秘蔵映像と共に紹介するコーナーがあり、嵐のメンバーの懐かしい映像や初々しいインタビューもたっぷり放送されました。
3度目の出演を果たした1999年10月29日のインタビューで櫻井翔は、嵐のデビューについて「(最初は)バレー(ボールのため)のユニットだと思ってたんですよ。ジュニアの中でもいっぱいユニットがあるのでそういうものだと思ってたら、ハワイでの会見1週間くらい前に『いやきみら、CDデビューですよ』とか言われて。うれしいとかじゃなくて大慌てだった」と、まだ幼さの残る声で話していました。
また2010年8月13日の放送では、「リーダーはどうやって決まったのか?」との視聴者からの質問が。少年隊の番組出演時にジャンケンで決まったという事実に対し大野智は「急にデビューになってリーダーって言われても、オレ辞めたいしなぁって思って」とトンデモ発言をしスタジオは大爆笑。司会のタモリも「嵐、辞めたかったの!?」と驚くと、「いや最初何が何だかわかんなかったんで(笑)。逃げたかったんですよね!」とデビュー当時の自分を分析。二宮が慌てて「当時ね! 今はもう……」とフォローする様子が流れました。
懐かしいVTRのあと、タモリは嵐のメンバーがジュニアになったキッカケを尋ねました。大野は1994年、櫻井は1995年、二宮、松本、相葉は1996年にジャニーズ事務所に入所しましたが、その経緯はそれぞれ。小学校の卒業式の日に自分で履歴書を送ったという松本潤。「そしたら社長から直接電話があって、『今レッスンやってるから、よかったらYOU来ちゃいなよ!』」。そう言われた松本はその日の野球の練習をキャンセルし、『こんなチャンスもないから』と家族会議でレッスンに行くことを決め、親と一緒にテレ朝の第一リハーサル室に向かったのだそう。
また櫻井は中学生のころ、周りの友だちから「送ってみろ送ってみろ」とあおられて履歴書を書き、親の許可なく応募。すると「オーディションに『明日』来てください」という通知が来たそうで、「(何も)言ってなかったので最初は怒られましたけど、何だかんだ車で第一リハーサル室まで送ってくれました」と、青天の霹靂にもかかわらず協力してくれた親の存在を明かします。
二宮和也はイトコが履歴書を送ったそうで、「僕は野球やってたんで行く気なかったんですけど、母親がお小遣いくれるって言うんで。じゃあ行こうかなと思って、電車で第一リハーサル室まで行きました」と話すと、櫻井は「あなたも? あなたもそう(第一リハーサル室)なの?」と驚いていました。
また大野は「僕は母親が応募して。嫌だったんですけど、『アンタが受かるわけないじゃない!』って言われて。受かるわけないなぁと思ってオーディションに行ったんです。第一リハーサル室へ」。“えっ、また第一リハーサル室?”とここでスタジオの笑いが起き、さらに「窓から母ちゃんに手ぇ振ったら、社長に怒られたんです」と母親との珍エピソードを話して笑いを取っていました。
相葉は「当時SMAPさんがバスケットの番組をやってたんですよ。僕ずっとバスケットやってて、『バスケットをSMAPさんとしたい!』と思って」。そこで履歴書を書いて行った先はやはり第一リハーサル室。「そのときに僕バスケットボール持ってっちゃってて。もしかしたら(SMAPに)会えるかもしれないから。でもそんな空気じゃないから、とりあえず第一リハーサル室の階段の下に隠してオーディション受けたんですよ」。この、さすがとも言える破天荒っぷりに櫻井は「道場やぶりと同じ戦略!?」と笑っていました。
自ら履歴書を送り、いきなりのオーディションにも迷わず参加した松本と櫻井。「SMAPとバスケがしたい!」という、ある意味邪道な熱意でボールまで持ってきてしまった相葉。一方、気は向かなかったけれどジャニーズに入れてしまった二宮と大野。経緯やタイミングは違えど、すべては「テレ朝の第一リハーサル室」から始まっていたのかと思うと感慨深いですね。
3度目の出演を果たした1999年10月29日のインタビューで櫻井翔は、嵐のデビューについて「(最初は)バレー(ボールのため)のユニットだと思ってたんですよ。ジュニアの中でもいっぱいユニットがあるのでそういうものだと思ってたら、ハワイでの会見1週間くらい前に『いやきみら、CDデビューですよ』とか言われて。うれしいとかじゃなくて大慌てだった」と、まだ幼さの残る声で話していました。
また2010年8月13日の放送では、「リーダーはどうやって決まったのか?」との視聴者からの質問が。少年隊の番組出演時にジャンケンで決まったという事実に対し大野智は「急にデビューになってリーダーって言われても、オレ辞めたいしなぁって思って」とトンデモ発言をしスタジオは大爆笑。司会のタモリも「嵐、辞めたかったの!?」と驚くと、「いや最初何が何だかわかんなかったんで(笑)。逃げたかったんですよね!」とデビュー当時の自分を分析。二宮が慌てて「当時ね! 今はもう……」とフォローする様子が流れました。
懐かしいVTRのあと、タモリは嵐のメンバーがジュニアになったキッカケを尋ねました。大野は1994年、櫻井は1995年、二宮、松本、相葉は1996年にジャニーズ事務所に入所しましたが、その経緯はそれぞれ。小学校の卒業式の日に自分で履歴書を送ったという松本潤。「そしたら社長から直接電話があって、『今レッスンやってるから、よかったらYOU来ちゃいなよ!』」。そう言われた松本はその日の野球の練習をキャンセルし、『こんなチャンスもないから』と家族会議でレッスンに行くことを決め、親と一緒にテレ朝の第一リハーサル室に向かったのだそう。
また櫻井は中学生のころ、周りの友だちから「送ってみろ送ってみろ」とあおられて履歴書を書き、親の許可なく応募。すると「オーディションに『明日』来てください」という通知が来たそうで、「(何も)言ってなかったので最初は怒られましたけど、何だかんだ車で第一リハーサル室まで送ってくれました」と、青天の霹靂にもかかわらず協力してくれた親の存在を明かします。
二宮和也はイトコが履歴書を送ったそうで、「僕は野球やってたんで行く気なかったんですけど、母親がお小遣いくれるって言うんで。じゃあ行こうかなと思って、電車で第一リハーサル室まで行きました」と話すと、櫻井は「あなたも? あなたもそう(第一リハーサル室)なの?」と驚いていました。
また大野は「僕は母親が応募して。嫌だったんですけど、『アンタが受かるわけないじゃない!』って言われて。受かるわけないなぁと思ってオーディションに行ったんです。第一リハーサル室へ」。“えっ、また第一リハーサル室?”とここでスタジオの笑いが起き、さらに「窓から母ちゃんに手ぇ振ったら、社長に怒られたんです」と母親との珍エピソードを話して笑いを取っていました。
相葉は「当時SMAPさんがバスケットの番組をやってたんですよ。僕ずっとバスケットやってて、『バスケットをSMAPさんとしたい!』と思って」。そこで履歴書を書いて行った先はやはり第一リハーサル室。「そのときに僕バスケットボール持ってっちゃってて。もしかしたら(SMAPに)会えるかもしれないから。でもそんな空気じゃないから、とりあえず第一リハーサル室の階段の下に隠してオーディション受けたんですよ」。この、さすがとも言える破天荒っぷりに櫻井は「道場やぶりと同じ戦略!?」と笑っていました。
自ら履歴書を送り、いきなりのオーディションにも迷わず参加した松本と櫻井。「SMAPとバスケがしたい!」という、ある意味邪道な熱意でボールまで持ってきてしまった相葉。一方、気は向かなかったけれどジャニーズに入れてしまった二宮と大野。経緯やタイミングは違えど、すべては「テレ朝の第一リハーサル室」から始まっていたのかと思うと感慨深いですね。
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