「朝からパチンコ屋に並んでた……」TOKIO国分太一、不遇の時代を語る
2013.3.29
3月24日放送の『アシタスイッチ』(TBS系)にTOKIO国分太一が出演しました。対談相手は国分主演の映画『だいじょうぶ3組』の原作・共演者である乙武洋匡氏。2人は映画での共演を通じ親交を深めたそうですが、「これだけ仲良くなったけど意外に聞いてない話ってあると思う」と乙武。少年時代について尋ねられた国分は、苦悩したジャニーズJr.時代について語り始めました。
小学生の頃はプロ野球選手に憧れ、スポーツばかりしていたという国分。しかし中学1年のある日、光GENJIファンだった姉が国分に自分のボーダーのロンTを着せ、男なのに髪をコテで巻き写真撮影。その写真をジャニーズ事務所に送ったところ、合格してしまったのだとか。そして中学1年の後半からは早速雑誌に出始めたという国分。学校の先輩から「コイツ調子乗ってんな」と思われるのが怖い。その一方で「(仕事は)どんどんどんどん楽しくなってきた。雑誌に出れば女の子たちにキャーキャー言われるようになるし」。
しかし受験勉強を経て高校には合格したものの、Jr.の中でも特に忙しくなってきた国分。学校の出席日数が足りず、仕事を取るか高校を取るかの決断を迫られます。仕事が楽しくてしょうがなかった国分は「どうしてもお仕事がしたい!」と主張。しかし父親は猛反対。「お前、大変だぞ。高校だけは出とけ」と言われますが、当時反抗期でもあった国分は「いやいや、もうこれで絶対食っていけるから大丈夫!」「今は高校行ってる時間がもったいないよ」と豪語。すると国分の父親は「そんなにやりたいんだったら家を出ろ!」。さらに「『国分家から離れます』って、文字にして書け!」「『失敗した』って言って戻ってくるな。オレはお金も渡さない。それぐらいの覚悟を持って行ってくるんだったらいいぞ」と突き放します。
国分は「若気の至りですよ。先のことも考えないで『わかったよ、書くよ』って」。一筆したためた国分は家を出て事務所の寮へ。勘当同然で家を出た国分ですが、そこから順風満帆でここまで来たわけではありません。いつの間にか仕事がなくなり、雑誌取材すら月1程度。それが2~3年続いたのです。かと言って父親の手前、実家には戻れない。そんなこんなで、気付けば18歳。いよいよ仕事がなくなった国分は、なんと朝からパチンコ屋に並んでいたそう。「並んで、入るじゃないですか。そうすると後からリーダー(城島茂)も入ってくるっていう。もう2人して本当に仕事がないから(笑)」。今でこそ笑い話ですが、当時は笑えません。
しかしその後、舞台への出演が決定。両親を招いた国分は公演後に感想を求めます。しかし「お父さん、ほとんど見てないよ」と母。父は「自分の息子が舞台で芝居してる姿なんて、緊張して見れない」と、タバコを吸いに外に出ていたそう。しかし国分は舞台上から、フィナーレで拍手をしてくれている両親を確認していました。そこで初めて、「認めてくれた」と感じた国分。「感謝ですよね。反抗期の状態で1回(家を)出ながらも、この仕事を続けさせてくれた父親には」と、あらためて父への想いを打ち明けました。
しかしながらなぜ父親がそこまで厳しかったかというと、実は父自身が中卒だから。「『ここまで来るのに本当に大変だったから、太一にはそんな辛い思いをさせたくない』『できればいろんなことを勉強してもらって、それから社会に出てもらいたい』って気持ちがあった」というのを、国分は20歳を過ぎて、父親と一緒に酒を飲むようになって初めて聞いたそう。これに対して乙武は、「もしお父さんが(最初から)『いいよいいよ、頑張れよ!』っていう姿勢だったら、辞めちゃってたかも……」と言うと、それに深く頷く国分。「うん、簡単に辞めれたと思う。意地だったところもあったから」。子どもを手放しで応援するのではなく、突き放すことでやる気にさせた国分のお父さん。きっと国分の性格をよく理解していたのでしょうね。
また最後には、理想の家族像も語りました。子どもの頃、日曜日はいつも家族で野球をしに出かけていたという国分。父親がコーチ、母親ははちみつレモンを作ってくれ、「みんなで行く遠足みたいだった」のだそう。「親父とおふくろは仲がいいから。そこで育ってるから、そこで幸せを感じてるから、自分の家庭もそういう風になったらいいな」と語ります。元TBS社員との熱愛・同棲が囁かれて久しい国分。お相手との理想もしっかり描けているようだし、今年こそゴールインしてほしいですね!
小学生の頃はプロ野球選手に憧れ、スポーツばかりしていたという国分。しかし中学1年のある日、光GENJIファンだった姉が国分に自分のボーダーのロンTを着せ、男なのに髪をコテで巻き写真撮影。その写真をジャニーズ事務所に送ったところ、合格してしまったのだとか。そして中学1年の後半からは早速雑誌に出始めたという国分。学校の先輩から「コイツ調子乗ってんな」と思われるのが怖い。その一方で「(仕事は)どんどんどんどん楽しくなってきた。雑誌に出れば女の子たちにキャーキャー言われるようになるし」。
しかし受験勉強を経て高校には合格したものの、Jr.の中でも特に忙しくなってきた国分。学校の出席日数が足りず、仕事を取るか高校を取るかの決断を迫られます。仕事が楽しくてしょうがなかった国分は「どうしてもお仕事がしたい!」と主張。しかし父親は猛反対。「お前、大変だぞ。高校だけは出とけ」と言われますが、当時反抗期でもあった国分は「いやいや、もうこれで絶対食っていけるから大丈夫!」「今は高校行ってる時間がもったいないよ」と豪語。すると国分の父親は「そんなにやりたいんだったら家を出ろ!」。さらに「『国分家から離れます』って、文字にして書け!」「『失敗した』って言って戻ってくるな。オレはお金も渡さない。それぐらいの覚悟を持って行ってくるんだったらいいぞ」と突き放します。
国分は「若気の至りですよ。先のことも考えないで『わかったよ、書くよ』って」。一筆したためた国分は家を出て事務所の寮へ。勘当同然で家を出た国分ですが、そこから順風満帆でここまで来たわけではありません。いつの間にか仕事がなくなり、雑誌取材すら月1程度。それが2~3年続いたのです。かと言って父親の手前、実家には戻れない。そんなこんなで、気付けば18歳。いよいよ仕事がなくなった国分は、なんと朝からパチンコ屋に並んでいたそう。「並んで、入るじゃないですか。そうすると後からリーダー(城島茂)も入ってくるっていう。もう2人して本当に仕事がないから(笑)」。今でこそ笑い話ですが、当時は笑えません。
しかしその後、舞台への出演が決定。両親を招いた国分は公演後に感想を求めます。しかし「お父さん、ほとんど見てないよ」と母。父は「自分の息子が舞台で芝居してる姿なんて、緊張して見れない」と、タバコを吸いに外に出ていたそう。しかし国分は舞台上から、フィナーレで拍手をしてくれている両親を確認していました。そこで初めて、「認めてくれた」と感じた国分。「感謝ですよね。反抗期の状態で1回(家を)出ながらも、この仕事を続けさせてくれた父親には」と、あらためて父への想いを打ち明けました。
しかしながらなぜ父親がそこまで厳しかったかというと、実は父自身が中卒だから。「『ここまで来るのに本当に大変だったから、太一にはそんな辛い思いをさせたくない』『できればいろんなことを勉強してもらって、それから社会に出てもらいたい』って気持ちがあった」というのを、国分は20歳を過ぎて、父親と一緒に酒を飲むようになって初めて聞いたそう。これに対して乙武は、「もしお父さんが(最初から)『いいよいいよ、頑張れよ!』っていう姿勢だったら、辞めちゃってたかも……」と言うと、それに深く頷く国分。「うん、簡単に辞めれたと思う。意地だったところもあったから」。子どもを手放しで応援するのではなく、突き放すことでやる気にさせた国分のお父さん。きっと国分の性格をよく理解していたのでしょうね。
また最後には、理想の家族像も語りました。子どもの頃、日曜日はいつも家族で野球をしに出かけていたという国分。父親がコーチ、母親ははちみつレモンを作ってくれ、「みんなで行く遠足みたいだった」のだそう。「親父とおふくろは仲がいいから。そこで育ってるから、そこで幸せを感じてるから、自分の家庭もそういう風になったらいいな」と語ります。元TBS社員との熱愛・同棲が囁かれて久しい国分。お相手との理想もしっかり描けているようだし、今年こそゴールインしてほしいですね!
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