「2時間ぐらい監禁されて……」堂本剛がジャニーズの内情を暴露
2013.9.15
9月11日、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)「テレフォンショッキング」のコーナーにKinKi Kids堂本剛が2年振りに出演しました。今年34歳を迎え変わったことについて尋ねられると、仕事で一緒になるスタッフや共演者が年下になってきたことを挙げます。この前日も10歳年下の清水翔太と仕事をしていたそうですが、電話で清水はもちろん敬語。「そんな『はいはい』せんでええよ」(剛)「でも先輩なんで」(清水)という会話をしたらしく、スタジオ脇にいたジャニーズの後輩noon boyz野澤祐樹に「(君も)34になるんだよ」と声をかける場面もありました。
司会のタモリから「髪型ずいぶん変わるよね!」と言われると、剛は「そうですね、人とかぶりたくなくてですね」「似たような人が世の中に出てき始めると、やめたくなる」と話します。剛の個性的なセンスは周知の通りですが、美容師と話すのが嫌で自分で髪を切っていた時期も。「左右非対象に髪切ったらどうなるかな~」とオリジナルスタイルでテレビに出たところ、「精神異常」と言われてしまったそうです。しかしその後、アシンメトリーなヘアスタイルが流行。「僕がそれに乗っかったみたいになっちゃったんで、やめて、刈り上げてとかいろいろやってたんですよ」と今度は刈り上げに移行。が、「そしたらみんな刈り上げてっちゃったから、刈り上げるのやめて、今、横は伸ばしてたりとか」と、自分がトレンドセッターであると信じて疑わない様子。
今は当たり前のように存在するレギンスも、「僕がレギンスしたかった時になくて、古着屋さんで競輪選手が履くテッカテカピッチピチのやつがあって、それを代用して短パン重ねたりとかして生活してたんですよ」と話します。その時は周囲から「精神異常」ではなく「志茂田景樹」と言われ、「あ、そっか景樹さん先やってたか」と一番ではなかったことに気付いたのだとか。しかしその後レギンスが世の中に出て来たため、剛は景樹スタイルをやめたのだそう。
昔は髪を赤く染めるなど、色を入れていたこともありましたが、それが原因で「事務所に呼ばれて、偉い人に2時間ぐらい監禁されてめっちゃ怒られた」ことも。「今日この後、怒りますからね。でもご飯食べに行きましょう」と言われ、中華料理屋で上海蟹をご馳走してもらったものの、全然おいしくなかったそうです。その時は髪型のみならず、「柄と柄を着るな!」とファッションについても叱られ、さらにソロとして初めて作った楽曲「街」(2002)についても、「歌詞が男っぽい。アイドルなんだから女の子にモテるような甘いラブソングは書けないの?」と言われてしまったとか。
しかしそのジャニー社長ではない「偉い人」は、散々怒った後で「今言ったことは全て気にしなくていい」「これを愛情として受け取りなさい」と言い、その後「あなたはこういうアーティストになればいいと思う」と送ってきた資料が、なんと奇抜なビジュアルで知られるビョーク。「僕、ここまで行っちゃっていいのかな?」と自分で不安になったようですが、ここで剛自身、シンガーソングライターとしての自分にGOサインが出せたのかもしれません。
また、自身がソロ活動することになったきっかけについても語りました。ある時、ジャニー喜多川社長から電話があり、「YOUミュージカルやらない?」と言われた剛。これが光一ならば誘いに乗っていたかもしれませんが、興味のなかった剛は「ああ、やらへん」と即答。これを聞いたタモリは「ジャニーさんに言ったの!?」と驚きます。しかしその1年後、ジャニー社長は現在のレコード会社社長に「彼に、シンガーソングライターとして何かをやらせたい」と打診。ソロ活動についてなにもイメージがなかった剛も、この時「音楽やったら、ちょっとやってみたいかな」と思えたのだそう。
以降、精力的に活動してきた剛ですが、「いろんなイベントやってるじゃん?」とのタモリの言葉には、「あれは全部事務所に申請を出して、事務所がハンコ押したんでやってる」と裏事情を明かします。今年4度目を迎えた平安神宮でのライブについても「事務所さんがハンコ押してくれてるのでやってるんですよ」「僕、本当にすごく申請に申請を重ねているジャニーズのアーティストですよ」とし、事務所の申請が通らないものはやらないという徹底振り。
この日はプライベートについても、部屋は相変わらずキレイでシーツもしっかり洗濯しきれいに畳んでしまっていることや、ギター専用の部屋があり、32本のギターが置いてあることなどを話しました。ギターはどれもライブやレコーディングで使っているものだそうで、過去使っていなかった3本のギターは知り合いのミュージシャンに譲渡。知り合いが『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で弾いているのを見て、「使ってくれてるな」「あいつ元気にしてんねんな」などと感慨深くなっているようです。またスピーカーはドイツ製が好きで、「スピーカー屋さんに行って聞かせてもらう」と語るなど、公私ともに音楽に没頭している様子でした。
過去に「5年間、死にたいと思っていた」「音楽が僕を救ってくれた」と発言したこともある剛。「ジャニーさんが(レコード会社に)そういうふうに話してくれたんで、今こうして1人で作ったりしている」と、感謝の気持ちを表す場面もありました。自分で書くならば、「女の子にモテる歌」ではなく「魂の歌」にしたいと語る彼が、これからどんな音楽を作っていくのか。またどんなファッションで楽しませてくれるのか。今後も期待したいですね。
司会のタモリから「髪型ずいぶん変わるよね!」と言われると、剛は「そうですね、人とかぶりたくなくてですね」「似たような人が世の中に出てき始めると、やめたくなる」と話します。剛の個性的なセンスは周知の通りですが、美容師と話すのが嫌で自分で髪を切っていた時期も。「左右非対象に髪切ったらどうなるかな~」とオリジナルスタイルでテレビに出たところ、「精神異常」と言われてしまったそうです。しかしその後、アシンメトリーなヘアスタイルが流行。「僕がそれに乗っかったみたいになっちゃったんで、やめて、刈り上げてとかいろいろやってたんですよ」と今度は刈り上げに移行。が、「そしたらみんな刈り上げてっちゃったから、刈り上げるのやめて、今、横は伸ばしてたりとか」と、自分がトレンドセッターであると信じて疑わない様子。
今は当たり前のように存在するレギンスも、「僕がレギンスしたかった時になくて、古着屋さんで競輪選手が履くテッカテカピッチピチのやつがあって、それを代用して短パン重ねたりとかして生活してたんですよ」と話します。その時は周囲から「精神異常」ではなく「志茂田景樹」と言われ、「あ、そっか景樹さん先やってたか」と一番ではなかったことに気付いたのだとか。しかしその後レギンスが世の中に出て来たため、剛は景樹スタイルをやめたのだそう。
昔は髪を赤く染めるなど、色を入れていたこともありましたが、それが原因で「事務所に呼ばれて、偉い人に2時間ぐらい監禁されてめっちゃ怒られた」ことも。「今日この後、怒りますからね。でもご飯食べに行きましょう」と言われ、中華料理屋で上海蟹をご馳走してもらったものの、全然おいしくなかったそうです。その時は髪型のみならず、「柄と柄を着るな!」とファッションについても叱られ、さらにソロとして初めて作った楽曲「街」(2002)についても、「歌詞が男っぽい。アイドルなんだから女の子にモテるような甘いラブソングは書けないの?」と言われてしまったとか。
しかしそのジャニー社長ではない「偉い人」は、散々怒った後で「今言ったことは全て気にしなくていい」「これを愛情として受け取りなさい」と言い、その後「あなたはこういうアーティストになればいいと思う」と送ってきた資料が、なんと奇抜なビジュアルで知られるビョーク。「僕、ここまで行っちゃっていいのかな?」と自分で不安になったようですが、ここで剛自身、シンガーソングライターとしての自分にGOサインが出せたのかもしれません。
また、自身がソロ活動することになったきっかけについても語りました。ある時、ジャニー喜多川社長から電話があり、「YOUミュージカルやらない?」と言われた剛。これが光一ならば誘いに乗っていたかもしれませんが、興味のなかった剛は「ああ、やらへん」と即答。これを聞いたタモリは「ジャニーさんに言ったの!?」と驚きます。しかしその1年後、ジャニー社長は現在のレコード会社社長に「彼に、シンガーソングライターとして何かをやらせたい」と打診。ソロ活動についてなにもイメージがなかった剛も、この時「音楽やったら、ちょっとやってみたいかな」と思えたのだそう。
以降、精力的に活動してきた剛ですが、「いろんなイベントやってるじゃん?」とのタモリの言葉には、「あれは全部事務所に申請を出して、事務所がハンコ押したんでやってる」と裏事情を明かします。今年4度目を迎えた平安神宮でのライブについても「事務所さんがハンコ押してくれてるのでやってるんですよ」「僕、本当にすごく申請に申請を重ねているジャニーズのアーティストですよ」とし、事務所の申請が通らないものはやらないという徹底振り。
この日はプライベートについても、部屋は相変わらずキレイでシーツもしっかり洗濯しきれいに畳んでしまっていることや、ギター専用の部屋があり、32本のギターが置いてあることなどを話しました。ギターはどれもライブやレコーディングで使っているものだそうで、過去使っていなかった3本のギターは知り合いのミュージシャンに譲渡。知り合いが『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で弾いているのを見て、「使ってくれてるな」「あいつ元気にしてんねんな」などと感慨深くなっているようです。またスピーカーはドイツ製が好きで、「スピーカー屋さんに行って聞かせてもらう」と語るなど、公私ともに音楽に没頭している様子でした。
過去に「5年間、死にたいと思っていた」「音楽が僕を救ってくれた」と発言したこともある剛。「ジャニーさんが(レコード会社に)そういうふうに話してくれたんで、今こうして1人で作ったりしている」と、感謝の気持ちを表す場面もありました。自分で書くならば、「女の子にモテる歌」ではなく「魂の歌」にしたいと語る彼が、これからどんな音楽を作っていくのか。またどんなファッションで楽しませてくれるのか。今後も期待したいですね。
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コメント
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より 2013年09月16日 3:30 PM
信じて疑わないって書いてあるけど、実際最先端ではあると思う。
勿論、同時期に同じ様な事をしてた人は居ると思うけど、そういう一風変わった髪型だったり服装だったりを一番初めに目にするきっかけはいつも剛だった気がする。
いいとも見たけど今は落ち着いてるんだね。
他のGファンではあるものの一ジャニヲタとして興味深く見てるけど、面白い人だよねえ。 -
クラウドより 2013年09月17日 7:37 PM
正直に話してて気持ちよかったと思います。裏事情もわかって… 色々大変ですね!
jinより 2013年09月15日 3:57 PM
ビョークはこの世のものとは思えない髪型してた人だよね
最初見た時びっくりした