11月20日放送の『ザ少年倶楽部プレミアム』(NHK BSプレミアム)のトークゲストは、少年隊・東山紀之とV6・坂本昌行でした。MCの国分太一が「この奇跡の3ショットを見てくださいよ!」と言う通り、東山、坂本、国分の3人にはそれぞれ深い関係があるのです。
国分と坂本は同じ日にジャニーズ事務所に入所。また1度事務所を辞め、会社員になった坂本の復帰を手伝ったのが国分でした。その後、事務所に復帰した坂本にチャンスをくれたのが、先輩である東山。彼の実力を認めていた東山は、坂本を付き人に指名し、バックダンサーに抜てきします。坂本が東山の付き人を始めたのが1992年のこと。「最初に坂本を見た時に、ホントに歌も踊りもすごくうまかったの。この子はすごいなぁというので、目を付けてたじゃないけど、そのうち伸びるんじゃないかなぁと思ってたの」と振り返ります。そこから1年半~2年ほどの付き人期間中、なんと東山は自腹で坂本にギャラを支払っていたのだとか。坂本は「だからその時は固定給がちゃんとしてて、安定だったの」と笑っていましたが、お金をもらいながら勉強させてもらえるなんて、何とも贅沢な話。坂本によれば、実はトニセン(20th Century)は全員が付き人を経験済で、長野博は少年隊・植草克秀と光GENJI・内海光司、井ノ原快彦はSMAPの稲垣吾郎に付いて、マネジャー代わりに海外に同行したこともあったそうです。
しかしながら坂本は、もうすぐ付き人期間も終了という頃になって再び、「自信がなくなった。辞めようと思ってる」と東山に打ち明けたのだそう。せっかくチャンスを与えてやったのにまたか! と言いたくなるような局面ですが、東山は「がんばってれば、必ず人は見てくれてる」と坂本を激励。坂本は、「このひと言で僕の心が溶けた」「オレ、がんばってなかったんだ。もっとがんばんなきゃいけないんだ」と気持ちを新たにし、このひと言を信じて仕事に邁進。そうしているうちにデビューが決まったのだそう。
「そのひと言がなかったらちょっと……」と言いよどむ坂本に対し、「僕もそういうふうに育ってきてるんで。諸先輩方の言葉が生きる力になったことがある」と東山。一方、国分と東山の関係性はというと、国分は91年に山口達也と共に東山の家に居候。いまだに東山に教わった通りに服を畳んでいるという国分に、東山は「テレビに出てる人は、普段の生活が如実に出るんで。きちっとしてないと認められない。社会性やある程度の知性がないと、(この世界で)生きていくのはつらいと思う」と諭します。ジャニーズの真髄は、こうして先輩から後輩へと受け継がれていくんですね。
多くの後輩に慕われてきた東山ですが、国分が「先輩、僕らにいくらおごりました?」と尋ねると、「凄まじいですよ」との答え。長瀬智也がカルビを26人前食べたという逸話もあり、その総額は事務所の人から「TOKIOとV6がいなかったら、すぐに家が建った」と言われるほど。さらに東山は毎年後輩にお年玉をあげることでも有名。もはやジャニーズ恒例ですが、元は東山自身が近藤真彦からもらって、うれしかったという経験が発端だとか。そして自分でも一番近くにいた後輩・TOKIOにあげてみたところ異常な喜びだったことから、続けることにしたのだそう。
かつて東山は近藤から冗談で「お年玉もらったってテレビで言えよ」と言われたそうですが、東山自身も「“いまだに城島がもらってる”ってみんなが話題にしてくれるじゃない」と、自分のあげたお年玉が話題になることを楽しんでいる様子。「それ大事ですよね。ただあげるだけじゃなくて、株も上げてもらわないと!」と話す国分は、今年関ジャニ∞にお年玉をプレゼント。「関ジャニだと言ってくれるじゃないですか、絶対に」と、自分の株を上げようともくろんだものの、「でもあいつら言い方がひどかったんですよ。『中居くんの方が多かった』って言ったんですよ」と大誤算だったことを明かし、東山と坂本を笑わせていました。
かつては黒子の格好で木のセットの裏に隠れ、東山の早替えを手伝いながら「ずーっと木の後ろで、『絶対いつかはこの木から出てやる』と。『いつかは同じステージに立ちたい!』」と毎日思っていたという坂本。ついに上演中の舞台『フランケンシュタイン』で憧れの東山とW主演を果たします。「僕の役目は坂本を完膚なきまでに叩きのめすことだと思ってる。坂本もそういうつもりで来てほしいし、そういう真剣勝負を皆さんに見ていただきたい」と宣戦布告する東山に対し、「僕も同じ気持ち。いち役者として戦わせていただきます。それが恩返しだと思う」と奮い立つ坂本。先輩・後輩の域を超え、同じ舞台を愛する人間として切磋琢磨する2人の姿は、後輩たちの目にどう映るのでしょうか。
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